大判例

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大阪地方裁判所 昭和44年(ワ)5596号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕一、請求原因一の事実(本件事故の発生)は当事者間に争いなく、<証拠>によれば、原告治彦は、被告のバットと接触して前額部開放筋断裂の傷害および右接触に伴う転倒により頭部打撲をうけ、事故当日である昭和四一年一〇月一一日より翌一一月一日まで二二日間入院加療したことが認められる。

二、<証拠>によると、被告は高校同学年の友人である国沢敬司、花房悦次と誘い合せて本件事故の発生した公園に出かけ、軟式野球ボールでノック練習すなわち被告が公園南入口の門柱より三、四米北に入つた地点に位置してノーカーとなり、被告位置より北方に延長した線上附近である数十米先すなわち公園中心部に、国沢と花房を守備させて、南より北に向けて飛球やゴロを打つていたこと、ノック練習を始めてまもなく後、原告治彦が一人で南入口より公園内に走り込んできてそのまま公園内を北上し、背を向けている被告の背後に自ら接近したこと、被告は原告治彦の接近に気づかずに左手にしたボールをトスしてノックしたが、そのノック済バットのフォロースルーした先端が原告治彦の前額部に接触したこと、以上が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

三、ところで本件公園内に、球技を禁ずる旨の立札が掲げられていた旨の原告主張事実はこれを認めるに足りる証拠がない。本件公園を撮影した写真であることに争いない検甲第一号証の四ないし六には「球戯禁止」の立札があることが窺えるが、原告幸之助の供述によればこの写真は事故のかなり後の状況を撮影したものであつて事故当時この写真のごとき立札はなかつたことが認められる。

しかし、<証拠>によれば、被告がノック練習していた公園は住宅に囲まれた市中の小公園であつて、四囲を低いブロック垣でかこみ、ブランコ、滑り台、砂場等児童の遊び用の設備を配したもので、昼間の利用者は専ら児童であることがその形状、設備より明瞭であること、現に被告らがノック練習をしていた時には子供が公園内の北の方で四、五人遊んでいたことが認められる。

かかる主として不特定多数の子供が来集する小公園においては、野球練習は、オートバイを乗廻したりゴルフのボールを打放すのと同様に行為自体が危険であつて社会的に許容されないところであり、球技を禁ずる旨の表示があろうとなかろうとこれをしてはならないのであつて、他の者が野球をしていた例があろうともそのことは被告のなした野球練習自体の違法性を免れしめるものではないといわざるをえない。更に被告本人の供述によれば、被告は問題のノックをする直前には四囲特に正対しない方向を見廻すことなく漫然とバットを振廻したことが認められるのであり、こういう公園において小人数で敢て野球練習をするとすれば当然に講じなければならない注意すなわち自己の作動終了までに必要とする空間時間の測定とこれと対置することになる障害の探知を尽していないのであり、被告に重大な過失があることは明らかというべきである。

四、<証拠>によれば、原告治彦は前認定の部位程度の傷害をうけたほか前額部に数センチの線状の傷痕が残つたこと、当時幼稚園に通つていたが医師の指示で通園を停止し残る学園生活の機会を失つたことが認められ、これらの事情を綜合すると、原告治彦の慰藉料は金四五万円をもつて相当とすべきである。

次に原告幸之助、同喜三子の各慰藉料請求の点について考えるに、なるほど右原告両名が治彦の受傷および傷痕等のためかなりの精神上の苦痛を感じたことは容易に窺われるものの、原告治彦の生命が害された場合に比肩するがこれに著しく劣らない程度の苦痛をうけたことを認めうる資料はなく、原告幸之助、同喜三子の、蒙つ苦痛および算定不能ないし困難な損害は原告治彦に慰藉料を首肯することにより事実上填補されるものとみるべきである。<後略> (今技孟)

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